自分の居場所

自分の居場所、ってありますか?

 

自分の家、自分の部屋、トイレ、お風呂場、職場、学校、研修室、カラオケルーム

人間関係では、家族、夫婦、仲間、友達、ライバル、上司と部下、教師と生徒

などなど

 

私は「居場所」が無いと思っていました。

その場所に居ても居なくても同じなら、そこに私の居場所はありません。

その場所に居ても、誰からも声をかけてもらえないのなら、そこに私の居場所はありません。

 

そんな判りやすいことなら、何も悩みません。

 

その場所に居て、やることがあって、声もかけてもらっているのに、私は「居場所」が無い!!! ってやっていました。

私はここに居てもいいのかな? 私の役割はあるのかな?

もっと言えば、私は邪魔じゃないのかな? 迷惑じゃないのかな?

という考えを持ったこともありました。

 

周りからチヤホヤされて、仕事ならどんどん仕事がきて、周りからも「あ~、頼りになるわ」って言ってもらって、「あ~忙しい、忙しい」ってやっていたら、明らかに私の「居場所」!って感じますし、判ります。

 

そんな判りやすい場面は本当に特殊で、普段ではないでしょう。

 

ってことは、他者的に、あからさまに「居場所」です!って言える状況って、ほとんど無いということでしょうね。

 

でも、「居場所」って初めからあるんだよ、と教えてもらいました。

「居場所」って自分で造るもので、自分が「ここ!」って決めたところが「居場所」なんだということ。

なるほど、そうなんだ。

 

つまり、外側の特定の場所だけではなく、心の在り様も「居場所」だということかな?

 

何言ってるんだかわからないかもしれません。

 

すでにこの世界に生まれてきた時点で、この世界に「居場所」を決めているということ。

そして、自分の「居場所」は「元々有る」から生きていられるということ。

 

あの人がこうだから、とか、仕事が無い、だとか、どうせできないから、だとか。

勝手に自分で「居場所」を消しているということ。

つまり、消しているので、初めから「ある」のです。

 

家族がいるでしょ?

会社に行けているでしょ?

仲間がいるでしょ?

 

自分で「居場所」を造っている証拠です。

 

私は特に会社で「居場所」が無い! ってやっていました。

 

病気をしたこともあって、上司が仕事量をコントロールしてくれています。

そんなことはわかっているはずなのに、仕事がつまらないだとか、もっと仕事ができるだとか、あの仕事をやれせてもらえていないだとか、恥ずかしい言い訳ばっかりしていました。

 

でも、しっかりとその仕事の中身、内容、詳細を観てみると、今までにない新しい仕事だったり、昔と違ってやりやすくなっていたり、お客様だって昔と変わらないことはなく新鮮に仕事ができていることを理解できました。

 

だから、ここで、はっきりと、言えます。

 

私は「居場所」を持っています。

「居場所」が無い、なんて愚痴っていたのは、思い込みだったということ。

 

当然、家族の中に居れば、そこが私の「居場所」。

会社に行っても、私の「居場所」はあります。

 

全て、自分が決めています。

自分の世界では自分が全て決めています。

「居場所」も無いのではなく、あります。

元々あるのに、無い、無いってやっていただけでした。

 

「居場所」が無い! って強く思い込んでいたら、では、いったいどうなるのか?

 

自分の「居場所」を造るために、自分の無意識が外側に影響して、色々な現象を起こします。

例えば、仕事で言えば、部下がミスをして、それを助けます。

他には、家庭で言えば、家族の誰かが病気になったり、怪我をしたりして、それに対応する人をやります。

 

ここでいうところの「部下がミス」をすることだったり、「家族の誰かが病気・怪我」をすることだったり、は、自分の「居場所」が無い! という強烈な無意識がその現象を引き起こしているということです。

 

そして、結果、「私が居てよかったね」と相手に思わせることで、相手からここにいていいという許可をもらい、「居場所」を造ることに成功します。

 

自分が無理やり「居場所」を造るために、相手に影響し、ミスや病気・怪我を相手にさせてしまっていることを自覚しないといけません。

 

こうやって、自分が何に引っかかり、何に違和感があり、でもそれらを表現し、表に出すことで、どうしてその現象が起きているのかということがわかり、そうやって観ていくことでこの世の仕組み、人間の仕組みを見破れることが、本当に楽しいです。

 

そして、自分の勝手な思い込みで、相手にイヤなことをさせていることを認識することで、もうそのことはしなくなっていきます。

 

と、今日は、ちゃんと自分を観れたかな

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

カウンセリングでわかった、今、自分がすること

私はある団体に所属し、そこではこの世の仕組みとシステムを学び、色々なカリキュラムに参加し、すでにアメリカや中国で特許を取っている「心のバランスを整える方法」を身に着け、日々活用できるよう訓練をしています。

 

その中のカリキュラムに「カウンセリング」があります。

 

「カウンセリング」をはじめとする色々なカリキュラムでは、疑問に思っていたこと、不安だったこと、などにいつも答えをいただいています。

 

占いのように私が将来どうなるかとか、風水のように運気が良くなる方法を教えてくれるとか、そういうものではないですが、今回はハッキリと、「今、自分がするべきこと」がわかりました。

 

実はこんなことは初めてで自分でもビックリなのですが、

約1か月の間に、

「カウンセリング」「セミナー」「カウンセリング」「〇〇講座」「カウンセリング」

と畳みかけるようにカリキュラムを入れています。

 

「今、自分がするべきこと」は、この初めのカウンセリングで言われていました。

でも、自覚がありませんでした。

その後の「セミナー」では、大きな世界のエネルギー論の話があり、私たちは大きな力で動かされていることを、興味を持って聞かせていただきました。

そして、二つ目のカウンセリングでも「今、自分がするべきこと」を1回目のカウンセリングとは違った言葉で言われました。

そして「〇〇講座」を受けて、他の人が自分と重なるところがあることを知り、その人のことをもっと知りたいと思いました。

それをきっかけに、やっと自分の中の「自分を知りたい」という気持ちが芽生えました。

 

そうしたら、この「カウンセリング」で言われていたことが、二つとも、言葉、内容は違うけれど、結果、同じことを言っていることに気が付きました。

 

そして、「カウンセリング」の内容を今一度、ノートにまとめてみました。

 

「今、自分がするべきこと」

1.今まで「感じる」フリをしていたこと、

  自分は「感じることができない」ということ理解すること

  そして、「受け取る」を強化して、

  「受け取れなくなっていた」ことも理解すること

2.まったく自分は自分が観れないということを理解したうえで、

  自分を観るようにすること

3.自分の中の男性性、意志力を立ち上げること

4.自分の中の「悪」を知っていくこと、認めること

5.自分の中の女性性を癒すこと。そのために自分の母親を観て自分のキズを観ること

6.(ここには書きませんが、ある姿勢について教えていただきました)

 

1から6までありますが、実はみんな同じことを言っています。

頭をまとめるために、項目別に書き出してみました。

 

例え今、外側に問題があったとしても、問題はそこにはない。

全て内側の問題。

外側に翻弄され、右往左往して、その事(外側)を何とかしようと、頑張ってみても、結局、自分が整っていなければ、その場しのぎになってしまう。

問題の根源が自分であるため、いくら外側の問題を解決しようが、また別の形で問題が起こるだけ。

 

そうは頭ではわかっているのですが、外側の事を早く何とかしたくなって、立て続けにカウンセリングを受けてみました。

しかし、結果、帰ってくる答えはみな同じ。「自分を整える」

 

順番が違う。

今回は痛切にそう感じました。

 

実は最後のカウンセリングは数日後です。

まだ受けていません。

 

でも、次のカウンセリングでは、具体的に何をどう聞けばよいかわかります。

やはり、この流れには意味があった。

これでパーフェクト。

 

読んでくださり、本当にありがとうございました。

 

 

次元とは

次元とは

 

私の尊敬する人はある講義で話されていました。

13次元

 

そして最近、ある本を読んでそこには「13の層」ということが書いてありました。

 

この13次元、13の層は、3次元に居る私たちには見ることはできません。

しかしながら、この13次元、13の層を理解できるように、3次元で目に見える形で、ヒントというか、ある事象があります。

それは、宇宙です。

 

まずは、この地球の重力圏を出ると、上も下も右も左も北も南も東も西も無い世界となります。

これがある意味4次元の世界。地球を3次元とすると、その外側に4次元の世界があります。

 

そして、そのある本には、3次元の地球にいる肉体を持った人間は、次には肉体を持たない意識体になり(例えば肉体が死んだら)、4次元より高い次元に移行する、というようなことが書いてありました。

 

そして、そういう意識体の話の中で、ふたつの意識体の会話として「土星で一緒だったよね」という話が出てきます。

 

太陽系の惑星の名前が出てくる、とは、どういうことなのか?

 

これは、もしかしたら、たくさんの次元が存在することを、3次元にいる私たちが知るため、理解できるために太陽系の惑星が存在するのではないか、と考えました。

 

水星、金星、地球、火星、木星土星天王星海王星

(少し前まではその次に冥王星がありましたが、今は準惑星という位置づけ)

 

今は、8つが太陽系の惑星ということになっています。

この地球が3次元、3層目、3番目です。

火星は4番目、木星は5番目、土星は6番目です。

 

これが次元を表しているとするのなら、土星は6次元です。

なので、ある本に書かれていた「土星で一緒だったよね」は、「6次元で一緒だったよね」ということと同じだと考えました。

 

ただ、宇宙船で土星まで行ったら6次元に行ったのか、ということではありません。

 

多次元が存在していることを、たくさんの惑星があるということで、理解できるよね、ということです。

 

宇宙は神秘の世界で、宇宙空間には何もないのでなくそこにはエネルギーが存在していて、そのエネルギーによってこの宇宙は成り立っている、ということ。

 

それを理解するための有名な例えは、

コップに入っているコーヒーをかき混ぜミルクを落とすと、そのミルクは渦を巻きます。その渦は銀河の渦と同じ。

つまり宇宙空間にコーヒーのように何かが存在しなければ、銀河の渦は無いということ。そのコーヒーの部分を、暗黒物質とかダークマターと言われていると思います。

注目すべきは星の方ではなく空間の方。

その暗黒物質ダークマターが星々、生物、をはじめ色々な現象を起こしている、ということ。

 

これはそののまま人間にも例えることができます。

人間の意識は、5%が顕在意識、95%が無意識と言われ、その無意識によって、目の前の現象は起こるといえます。

そしてその無意識にはとんでもないパワーがあり、意識しているしていないにかかわらず、無意識によって私たちは右往左往しながら生きていることを理解しないといけません。

 

話が外れてしまったので次元の話に戻しますが、今のところ目に見えている惑星は8つ。

つまり次元は8つまでは確実にある、と理解します。

 

まだまだ見えないものはあります。13次元、13の層(28の層という考え方もあります)

は、本当のことなんだと思っています。

 

目の前の現象はこうして起こる

目の前の現象はどうやって起きるのでしょうか?

 

実は隠していた自分の内側のエネルギーによって、色々形を変えて目の前に現象となって現れます。

 

昨日、ハッと気づかされた現象があるので、それを例題に書きたいと思います。

 

私は洗濯が大好きです。衣類を洗濯機に入れて、ボタンをポン。洗濯が出来上がったものを干す。この一連の流れが大好きです。

汚れていたものが綺麗になり、その後、綺麗に干す。

 

その大好きな行為に時々水を差すことがあります。

それは、洗い物に異物が混入することです。

ティッシュだったり、お菓子だったり、紙だったり。

 

そのために、私は洗濯機に入れる前に、衣類のポケットなどを確認しています。

 

それが昨日はその確認を怠ったのです。

ここ数か月は何も無かったので、軽く確認しただけで済ませました。

 

そうしたら、こういう時に限って異物が混入していました!!!

 

洗濯が終わった洗濯機の中を見て、愕然としました。

異物混入!!!

こうなると全ての衣類を出して、衣類についた異物を取り除き、洗濯機の中を掃除して、再び洗濯しないといけません。

 

何とか無事に洗濯は終わり、気持ちよく干すことができました。

 

と、いうように、異物混入は大変な労力をかけないといけないので、とても気を付けています。

しかしながら今回はやってしまいました。

 

ここで、今までなら、「異物」を紛れ込ました人に文句を言って、その人のせいにして、怒るところですが、そうはしませんでした。

人のせいにするのいいのですが、今回は普段注意をしているにもかかわらず、確認を怠ったという自分がいて、自分の注意不足に落ち込んでいました。

 

でも、この現象は自分が創り出したものだとしたら、どうやって創ったんだ?

という疑問になりました。

 

「異物」混入、確認を怠った

ということに何を感じるか

 

ダメ、劣っている、バカ...

ということは、出来ない自分がイヤで、出来ない自分を隠して、出来る振りをしていたから、出来ないダメなバカな自分というエネルギーがこの現象を創ったんだ、と理解しました。

 

この現象ができた流れはわかりました。

「できない自分を嫌っていたな」「出来る振りをしていたな」

とわかったしまえばおしまいです。

 

と、今までは思っていましたが、これでは終われないことがわかってきました。

 

「できない自分を嫌っていたな」ということは、実際に自分は何をしていたかというと、それは「自分で自分を攻撃していた」ということです。

 

攻撃の種類は様々です。

自分が自分に様々な攻撃をして、「自分が自分のことを嫌っているよ~」と教えてくれているのです。

だから、自分のコンプレックスに真に向き合わないと、自分のことを嫌っていることは止められないということがわかってきました。

 

私は(多分男性のほとんどは)同時に一つの事しかできません。その代わり、それにものすごい集中力を発揮します。当然その集中力で体力を消耗します。体力を消耗したくないときは、集中力をあまり発揮しません。

でも、集中力を発揮せずにこのように失敗することがあります。その失敗の経験があるから常に集中しようとします。でも、失敗することがあります。やはり集中力を発揮していませんでした。

そんな自分は「完ぺきではない」から、自分が自分を好きになれない、つまり「嫌っている」こととなります。

 

「嫌っている」という内面を自分は観たくないので、自分で自分を攻撃します。

いじめと一緒です。

 

いじめは、相手に自分のイヤな部分が映ってしまうので相手を攻撃します。

いじめられている側も、自分の中の自分を嫌っているので、自分に攻撃するために「いじめっ子」を利用して、自分をいじめてもらいます。

双方が内面に同じような傷を持ち、片方は外への攻撃、片方は自分への攻撃、というペアで成り立っているものです。

 

つまり、結果、自分で自分を嫌っているというエネルギー(これを無意識と言う)が、自分の好きなことに自ら水を差し、自分を嫌いになるように誘導する現象を起こす、ということです。

 

失敗という現象は、「やっぱり自分はダメな奴」という思い・再確認を自分が自分にすることである、と言えます。

 

なので、結論、「目の前の現象は、自分の内面の無意識のエネルギーによって起こる」です。

 

今回はマイナス的なエネルギーからはマイナス的な現象が生まれるということを書きましたが、プラスの方でも同じです。

 

出来ればプラスの方の現象を起こしていきたいものです。

自分の責任

 

私は以前、人のせいにすることが普通だった人です。

 

「人のせいにする」とは、「自分に非は無く、相手が悪い、とすること」。

 

そうしてしまう心理、内面、動機はというと、

1.怒られるのが嫌い

2.責任を取るのがイヤ

3.プライドが高い

4.愛されたい、注目されたい

5.思い通りにしたい

6.完璧主義

などなど

 

人のせいにしてしまう人は、残念な面もあります。

1.問題解決が自分一人ではできない

2.信用を無くす

3.周りから協力が得られない

4.反省しないので、成長も気づきもない

 

まさに、私でした。

 

まぁ、今でも時々やってしまいます。

特にパートナーにやってしまいます。

その時は「何で私のせいにするの?自分で決めて」と言われます。

 

パートナーは、常に俯瞰した位置から自分と私を観ることができるため、

そのようなアドバイスをくれます。

 

例えば、

食事に行くときに 「どこがいい? AかBか」 と聞きます。

パートナーが「A」と答え、「A」に行ったとします。

でも、本当は自分は「B」がいいか、または、話にも出ていませんが「C」が良かったりもします。

 

「A」が良くなかった場合、「A」を選んだのはパートナーだから、パートナーが悪い、としてしまいます。

 逆に「A」がとても良かった場合、パートナーに選んでもらった私の考えは正しかった、と手柄を自分のものにします。

または、本当は「B」が良かった、言わなかったけど「C」が良かった、と、相手が自分の気持ちを考えてもらえなかった、などと文句を言います。

 

つまり、どちらを選んでも、パートナーのせいにするか、自分の手柄にします。

 

なんて、根性の悪いヤツでしょうね

 

この行動で一貫しているのは、「自分で責任を取りたくない」です。

 

自分で「A」を選んで、家族に不評だったら、自分の判断が間違っており、自分が悪いことになります。

でも「A」がすごく良かったら、称賛は自分のものです。

 

ここで働くのが、今度は「損得勘定」です。

 

自分が「A」を選んで称賛を得ることは1/4。

自分が「A」を選んで不満を言われることは1/4。

自分以外の人が「A」を選んで良かった場合も1/4。

自分以外の人が「A」を選んで悪かった場合も1/4。

 

つまり、自分が「A」を選んで称賛を得ることが1/4で、それ以外が3/4なら、自分で選ばない方が「損得勘定」でいったら、「損」をしない場合の方が大きい訳です。

 

でも実はこれは厳密にいえばおかしい訳です。

 

確率論でもなければ、統計でもなく、結局、自分の中で損をしないための方法、という訳です。

 

これは自分に自信があって、その選択にも自信があって、自分が自信をもって「A」を選べばいいこと。

また、何を選んでも、それが「あるがまま」であり、「すでにそうである」ことで、自分のストーリーであること、自分の人生の主人公は自分であることを自覚していれば、それで良い、ことなのです。

 

自分で責任を負いたくない、というのは、すでに自分の人生を自分で歩んでいない、自分の人生のストーリーを自分で描いていない、自分の人生は自分で決めていない、ということ。

 

この世に生まれてきて、自分の人生を歩んでいる時点で、本当は、もうすでに自分の責任で生きていること、なんですが、それがわからない。

 

「自分で責任を取らない」という人生ストーリーを「自分の責任」で選んでいることに気が付かない。

 

つまり、何をしても自分の責任で選んだ自分のストーリーなのです。

だったら、気持ちの良い方を選んでみた方がいいんじゃない?

 

人のせいにすることが悪いことではない。

全て自分で決めることが良いことでもない。

 

なぜ自分がそうしていたか、なぜそうしないといけなかったか、

そういうことを理解できたとき、目の前がクリアになり、

自分で選択していく人生の方が楽しいと感じました。

 

 

光と闇

 

「光と闇」

 

あるイベントに参加してしてきました。

 

「光」と「闇」がテーマのイベント。

 

具体的な事を言うと「闇」は、

引きこもり、自己嫌悪、孤立、憎しみ、鬱、自殺願望etc

です。

 

イベントの演者の中に、ご自身でご自身の闇に向き合い、ご自身で自らを「光」に向かわせた、という体験談をお話ししてくださった方がお二人います。

 

制限された時間の中でしたので、本当の深いところまでは話しはできなかったとは思いますが、それでも概略だけでもかなりの闇深い体験なんだと感じました。

 

私自身は、自ら一人で闇に向かうことはできないと思います。勇気もないし、力もないし、見通しもない。

というより、自分に「闇」があることがダメなこと、人としていけないこと、のように思っていましたから、宗教に走り、教えをいただき、「闇」を排除する行いをしていました。

 

体験談をお話しくださったお二人に共通することは、「闇」に目を背けずに、観ていった、こと。そこに勇気があったかはわかりませんが、そうしていくしかない状況の中、あきらめなかったことが重要だったと思います。

 

やはり、答えは「闇」に向かう。目を背けずに観ていく。

 

私はあるものに出会って、それによりこの世の仕組みを知り、「心のバランスを整える」方法を学び、目の前の問題に立ち向かい、パートナーとの融合、そして、絶対平和、人類再創造プロジェクトに向かっています。

 

「闇」を観ることで「光」が見える。

「闇」から「光」が生まれる。

「闇」の中に「光」がある。

「闇」が「光」を動かしている。

「闇」が本当に意味での「光」である。

 

ある講師は、宇宙のダークマターダークエネルギー(闇)が星々(光)を動かしているように、「闇」に意味があり、「闇」をちゃんと観ることが重要である、というようなことを言われていました。

 

勇気、意思、決断、を持って、闇に向かう。

 

「闇」に向かうと同時に、「光」が向かってくる。

そのことを実感できるイベントでした。

 

やはり人の体験談はすごい気づきとエネルギーをもらえます。

 

 

うつ & 自律神経失調症

 

それは病気です。

 

でも、お医者様に言われて、初めて「鬱」という「病気」、病名が付きます。

 

それまでは、「鬱」という「病気」とわからずに、生活しているでしょう。

 

 

私は、以前に「自律神経失調症」と言われました。

自律神経失調症」は、過度のストレスからくる自律神経の異常で、さまざまな症状を引き起こします。

私はどんな症状だったかというと、

1.血液が首から上に行きがちで、熱っぽくなっていて、頬や目が赤かった。

2.胃に違和感があり、お腹が空かず、急激に痩せていった。

3.考えることは、不安や気になっていることばかりで、時に仕事も手につかなかった。

4.常に体が重く、自分の身体でないような感覚があった。

5.眠りが浅く、常に眠たい状態だった。

といった感じでした。

 

その当時、仕事はバリバリやっていました。一応、責任者のお役もありました。

残業もかなりしていて、今の「働き方改革」からすると、結構無茶な時間でした。

 

しかし、私は上記のような症状が出ると、仕事に支障をきたすし、車の運転も危ないですから、それをかわす方法をふたつ身に着けました。

 

一つ目は、不安な考えを少なくすることです。

人間の男の脳は、極端に言えば一つのことしか考えられません。

女性は左右の脳を繋ぐ脳幹が太く、同時に色々なことを考えれます。

しかしながら男性はその脳幹が細く、一度に色々は考えられません。

ひとつひとつ片付けていくことになります。

でも、女性と同じようにしている男性もいます。あなたもそうかもしれません。

そのカラクリは、実は、男性はたくさんの引き出しを持っていて、一つ処理したら、引き出しにしまって、次のことをしたらまたしまって、また引き出しを開けて処理して、と、一つ一つ処理しながら、引き出しを開けたりしまったりを繰り返ししています。

そのスピードが速い人ために、あたかも女性と同じようなことをしている、と思うわけです。

そういうふうに男性の脳には特徴があるため、一つのことを処理することに脳を埋めてしまえば、不安なことを考えることができなくなります。

だから、会社では仕事のことで頭を埋めて、家に帰ればテレビドラマをたくさん録画しておいてそれを観ることで頭を埋めておきます。

だから、仕事が暇になること、ビデオの録画がなくなることが、とても不安でした。

 

二つ目は、いわゆる自己暗示です。

一つ目の方法で乗り切れるようならばそのようにしていましたが、症状がひどく出るときには、自己暗示的なことをしていました。

自分を切り離して、そういう症状が出ている自分は別の自分だと自分に言い聞かせて、もう一人の自分で動いていました。

「大丈夫、大丈夫。この症状はいつか治る」と自分に言いながら、自分の身体ではないような自分をもう一人が重なって動かしていました。

 

一番症状がひどいときには、二つの方法を駆使しながら仕事をしていました。

頭の中は常に仕事かテレビのことでいっぱいにし、もう一人の自分がこの体を動かしていました。

もうほとんどおなかは空かない状態となり、業務的にただ定期的に食事をしていました。朝7時だから朝食、お昼12時だから昼食、夜7時だから夕食、と。

ご飯の量は、おにぎり1個程度。調子がいいときにはおにぎり2個。

本当に体重が激変したときには、さすがに「やばい」と思いました。

 

その時、とても不安なことが3つあり、かなりの極限状態だったと思います。

 

そんなとき、不安だった3つのうち、1つが解消しました。

 

そしたら突然体に異変が起こりました。

 

体中の血の巡りが良くなり、身体が重力を感じなくなっているかのように軽くなりました。

そして、「今なら何でもできる!!!」「身体が浮いている。超能力者にでもなったようだ!!!」「私にできないことは何もない!!!」といった考えが、思いが、何も疑いもなく出てきました。

 

その時の爽快感、明瞭感、開放感、達成感、パワーアップ、エネルギッシュ、先見感、透視力感、魔法使い感、などなど、すごかった。

 

クリリンがナメック星の最長老さまに能力を開放してもらったかのように

ピッコロがナメック星でパワーアップしたときのように

その喜びの感じが一緒だと思いました。

 

イメージしてもらえましたでしょうか?

 

ものすごい感覚だったということが伝えたいのです。

 

でも実はこれは「躁鬱」の「躁状態」だったのです。

つまり、それまでは「鬱状態」だったとも言えます。

 

精神的には「躁鬱」状態で、肉体は「自律神経失調症」だったということです。

 

でもありがたいことに、私は「鬱」と「躁」を繰り返す「双極性障害」ではありませんでした。

そして私は、この「躁」状態を体験したことで、自分はおかしいと、やっと気づくことができました。

 

この時点では「自律神経失調症」であって「鬱」であることはわかっていませんでした。理解していませんでした。

あくまでも「自律神経失調症」で、でも「躁状態」を経験した何か異常な状態であるという認識でした。

 

私の症状は、不安が3つから2つになったことで、みるみる改善されていきました。

 

自律神経失調症」はすっかり良くなり、体重も元の体重に戻っていきました。

 

でも「鬱」は私の精神に居たままです。

 

そして、その後数年して、私は壊れてしまいました。

病院に入院しました。

生きていることが初めて当たり前ではないことに気づかされました。

まだ、生きてやることがあるのだ、と確信しました。

そんな衝撃な出来事とともに、病院に入院しました。

 

そこで、初めて「鬱」と診断されました。

 

初めは自分が「鬱」であることを受け入れることはできませんでした。

病院側が勝手に、病院側の都合で、「鬱」としたんだ、と思っていました。

自分は本当は「鬱」ではないけれど、「鬱」としておいた方が私も会社も病院も都合がいいんだ、くらいにしか思わず、そういう風に納得して、治療を受けていました。

「どうせ自分は鬱では無いんだから、この治療は意味が無い」

そんな感じで、もう世の中の事に関して、どうでもいい感じになっていました。

 

数か月後、私は会社に復帰しました。

といっても、「鬱」という病気を持った社員がリハビリを兼ねて仕事をする、という名目でした。

社長にとっても「鬱」という病気は、トランプのジョーカー的な「何でも在り」的な、だからしょうがないよね、という空気にしてくれる、ありがたい病名だった、と私は感じています。

 

でも、自分では「鬱」ではないと思っているので、普通に今まで通り仕事はできる、と思っていました。

 

しかし、入院して、会社には予期せぬ事態を与え、スタッフのみなさまには大変なご苦労を掛けてしまいましたので、粛々と与えられた仕事をこなしていきました。

 

そんなある日、私は、自分が「鬱」であることを本当の意味で受け入れることとなる出来事がありました。

詳細は書きません。

 

「あっ、自分は鬱なんだ。そうか、だからだ。あの出来事も、この出来事も、鬱だからこそ、なんだ」

納得がいきました。

 

数年前の「自律神経失調症」は「鬱」が元になっていて、もちろん「躁状態」は「鬱」が無ければ起きません。

 

「鬱」であって極限状態までに追い込まれた結果、壊れてしまった。

 

すべての行動が「鬱」であるから納得がいきました。

 

こうして、やっと、自分が「鬱」であることを自分で認識しました。

 

そうしたら、目の前が一変しました。

 

自分が「鬱」を受け入れることで、自分判断でする仕事が与えられました。

突然でした。

 

苦手だったお客様の情報すら耳に入ってこなくなりました。

 

「鬱」という病気は、私みたいに受け入れられない人の方が多いと思います。

無理に受け入れろ、ということではありませんが、

少しでも社会に戻ろう、自分の殻を破ろう、と思うのなら、

「鬱」を本当の意味で受け入れることです。

私の体験談です。

 

「鬱」のことを調べてください。

そして自分のことと受け入れてください。

 

「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」

私の尊敬する人の言葉です。

 

「鬱」というものが、実は、

・自分が幸せになる、

・パートナーが幸せになる、

・家族が幸せになる、

・会社の人たちが幸せになる、

・お客様が幸せになる、

鍵です。

 

「鬱」は病気です。

「鬱」は自分です。

「鬱」は幸せになるための鍵です。

 

「鬱」を知って、受け入れて、幸せになりましょう。