うつ & 自律神経失調症
鬱
それは病気です。
でも、お医者様に言われて、初めて「鬱」という「病気」、病名が付きます。
それまでは、「鬱」という「病気」とわからずに、生活しているでしょう。
私は、以前に「自律神経失調症」と言われました。
「自律神経失調症」は、過度のストレスからくる自律神経の異常で、さまざまな症状を引き起こします。
私はどんな症状だったかというと、
1.血液が首から上に行きがちで、熱っぽくなっていて、頬や目が赤かった。
2.胃に違和感があり、お腹が空かず、急激に痩せていった。
3.考えることは、不安や気になっていることばかりで、時に仕事も手につかなかった。
4.常に体が重く、自分の身体でないような感覚があった。
5.眠りが浅く、常に眠たい状態だった。
といった感じでした。
その当時、仕事はバリバリやっていました。一応、責任者のお役もありました。
残業もかなりしていて、今の「働き方改革」からすると、結構無茶な時間でした。
しかし、私は上記のような症状が出ると、仕事に支障をきたすし、車の運転も危ないですから、それをかわす方法をふたつ身に着けました。
一つ目は、不安な考えを少なくすることです。
人間の男の脳は、極端に言えば一つのことしか考えられません。
女性は左右の脳を繋ぐ脳幹が太く、同時に色々なことを考えれます。
しかしながら男性はその脳幹が細く、一度に色々は考えられません。
ひとつひとつ片付けていくことになります。
でも、女性と同じようにしている男性もいます。あなたもそうかもしれません。
そのカラクリは、実は、男性はたくさんの引き出しを持っていて、一つ処理したら、引き出しにしまって、次のことをしたらまたしまって、また引き出しを開けて処理して、と、一つ一つ処理しながら、引き出しを開けたりしまったりを繰り返ししています。
そのスピードが速い人ために、あたかも女性と同じようなことをしている、と思うわけです。
そういうふうに男性の脳には特徴があるため、一つのことを処理することに脳を埋めてしまえば、不安なことを考えることができなくなります。
だから、会社では仕事のことで頭を埋めて、家に帰ればテレビドラマをたくさん録画しておいてそれを観ることで頭を埋めておきます。
だから、仕事が暇になること、ビデオの録画がなくなることが、とても不安でした。
二つ目は、いわゆる自己暗示です。
一つ目の方法で乗り切れるようならばそのようにしていましたが、症状がひどく出るときには、自己暗示的なことをしていました。
自分を切り離して、そういう症状が出ている自分は別の自分だと自分に言い聞かせて、もう一人の自分で動いていました。
「大丈夫、大丈夫。この症状はいつか治る」と自分に言いながら、自分の身体ではないような自分をもう一人が重なって動かしていました。
一番症状がひどいときには、二つの方法を駆使しながら仕事をしていました。
頭の中は常に仕事かテレビのことでいっぱいにし、もう一人の自分がこの体を動かしていました。
もうほとんどおなかは空かない状態となり、業務的にただ定期的に食事をしていました。朝7時だから朝食、お昼12時だから昼食、夜7時だから夕食、と。
ご飯の量は、おにぎり1個程度。調子がいいときにはおにぎり2個。
本当に体重が激変したときには、さすがに「やばい」と思いました。
その時、とても不安なことが3つあり、かなりの極限状態だったと思います。
そんなとき、不安だった3つのうち、1つが解消しました。
そしたら突然体に異変が起こりました。
体中の血の巡りが良くなり、身体が重力を感じなくなっているかのように軽くなりました。
そして、「今なら何でもできる!!!」「身体が浮いている。超能力者にでもなったようだ!!!」「私にできないことは何もない!!!」といった考えが、思いが、何も疑いもなく出てきました。
その時の爽快感、明瞭感、開放感、達成感、パワーアップ、エネルギッシュ、先見感、透視力感、魔法使い感、などなど、すごかった。
クリリンがナメック星の最長老さまに能力を開放してもらったかのように
ピッコロがナメック星でパワーアップしたときのように
その喜びの感じが一緒だと思いました。
イメージしてもらえましたでしょうか?
ものすごい感覚だったということが伝えたいのです。
でも実はこれは「躁鬱」の「躁状態」だったのです。
つまり、それまでは「鬱状態」だったとも言えます。
精神的には「躁鬱」状態で、肉体は「自律神経失調症」だったということです。
でもありがたいことに、私は「鬱」と「躁」を繰り返す「双極性障害」ではありませんでした。
そして私は、この「躁」状態を体験したことで、自分はおかしいと、やっと気づくことができました。
この時点では「自律神経失調症」であって「鬱」であることはわかっていませんでした。理解していませんでした。
あくまでも「自律神経失調症」で、でも「躁状態」を経験した何か異常な状態であるという認識でした。
私の症状は、不安が3つから2つになったことで、みるみる改善されていきました。
「自律神経失調症」はすっかり良くなり、体重も元の体重に戻っていきました。
でも「鬱」は私の精神に居たままです。
そして、その後数年して、私は壊れてしまいました。
病院に入院しました。
生きていることが初めて当たり前ではないことに気づかされました。
まだ、生きてやることがあるのだ、と確信しました。
そんな衝撃な出来事とともに、病院に入院しました。
そこで、初めて「鬱」と診断されました。
初めは自分が「鬱」であることを受け入れることはできませんでした。
病院側が勝手に、病院側の都合で、「鬱」としたんだ、と思っていました。
自分は本当は「鬱」ではないけれど、「鬱」としておいた方が私も会社も病院も都合がいいんだ、くらいにしか思わず、そういう風に納得して、治療を受けていました。
「どうせ自分は鬱では無いんだから、この治療は意味が無い」
そんな感じで、もう世の中の事に関して、どうでもいい感じになっていました。
数か月後、私は会社に復帰しました。
といっても、「鬱」という病気を持った社員がリハビリを兼ねて仕事をする、という名目でした。
社長にとっても「鬱」という病気は、トランプのジョーカー的な「何でも在り」的な、だからしょうがないよね、という空気にしてくれる、ありがたい病名だった、と私は感じています。
でも、自分では「鬱」ではないと思っているので、普通に今まで通り仕事はできる、と思っていました。
しかし、入院して、会社には予期せぬ事態を与え、スタッフのみなさまには大変なご苦労を掛けてしまいましたので、粛々と与えられた仕事をこなしていきました。
そんなある日、私は、自分が「鬱」であることを本当の意味で受け入れることとなる出来事がありました。
詳細は書きません。
「あっ、自分は鬱なんだ。そうか、だからだ。あの出来事も、この出来事も、鬱だからこそ、なんだ」
納得がいきました。
数年前の「自律神経失調症」は「鬱」が元になっていて、もちろん「躁状態」は「鬱」が無ければ起きません。
「鬱」であって極限状態までに追い込まれた結果、壊れてしまった。
すべての行動が「鬱」であるから納得がいきました。
こうして、やっと、自分が「鬱」であることを自分で認識しました。
そうしたら、目の前が一変しました。
自分が「鬱」を受け入れることで、自分判断でする仕事が与えられました。
突然でした。
苦手だったお客様の情報すら耳に入ってこなくなりました。
「鬱」という病気は、私みたいに受け入れられない人の方が多いと思います。
無理に受け入れろ、ということではありませんが、
少しでも社会に戻ろう、自分の殻を破ろう、と思うのなら、
「鬱」を本当の意味で受け入れることです。
私の体験談です。
「鬱」のことを調べてください。
そして自分のことと受け入れてください。
「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」
私の尊敬する人の言葉です。
「鬱」というものが、実は、
・自分が幸せになる、
・パートナーが幸せになる、
・家族が幸せになる、
・会社の人たちが幸せになる、
・お客様が幸せになる、
鍵です。
「鬱」は病気です。
「鬱」は自分です。
「鬱」は幸せになるための鍵です。
「鬱」を知って、受け入れて、幸せになりましょう。