自分には見えないもの

会社の朝礼時に読む小冊子があります。

いつも机の脇にある書類BOXに入れていて、朝礼時に持っていきます。

 

ある朝それがありませんでした。

「無い!ここにあったのに!」

「もう時間がない、どうしよう」

 

隣の人が声をかけてくれました。

隣人:「どうしたの?」

自分:「小冊子が無いんです」

隣人:「・・・・・・・・・・」

自分:「いつもここに置いているんです」

隣人:「・・・・・・・・・・」

自分:「・・・・・・・・・・」

 

隣人:「机の上に置いてある、それじゃないの?」

自分:「あっ」

 

ありました。机の上にありました。

 

まったく見えていませんでした。

 

ものすごい衝撃でした。

 

目の前の小冊子に気が付かず、机の脇の書類BOXばかりを探していました。

 

そう言えば、少し前もって読んでおこう、と思って、今日のページを開いて机の上に置いておいたのでした。

その後、声を掛けられて話をしていて、時間になったから朝礼に出ようと思ったところ、「小冊子が無い!」と騒いでいました。

 

ちょっと前のことを忘れていることも問題なのかもしれませんが、それよりも「ここにあるはずだ!」「無いのはおかしい!」とやっていた自分に驚かされました。

 

思い込み、固定観念を持って事にあたると、目の前の真実には気が付かないことがあるのだと体験しました。

 

私から離れて、私を見ていた人には、小冊子が見えていて、私が灯台下暗し状態をしていることが簡単に解っていました。

 

人は時として、滑稽な事をしているんだなぁ、と実感しました。

「自分には見えないもの」、というよりこの場合、「自分だから見えないもの」があって、それは人から観てもらうことで本当の姿が解り、思い込みや信じ込みがとても恥ずかしい行動に結びついていることを痛感しました。

 

こんなにも自分では自分が観えないものであるというお話でした。