雨だれ 耳だれ

「雨だれ 耳だれ」 と聞くとどんなイメージを持ちますか?

 

「雨」が元々マイナスイメージ

「耳だれ」は、何か耳の病気のような、これもマイナスイメージ

 

これはある芸人が先輩芸人にコンビ名を付けてもらうという場面で、

「雨だれ 耳垂れ」なんかどうか?

という話をいただき、

先ほどのようにマイナスイメージが頭に浮かび、

特に2人のうちどちらが「耳だれ」になるか!?

などと、その名前は拒否したという話

 

でも実は「雨だれ 耳だれ」は「!?」の意味

「!」は雨だれ、雨が垂れているイメージ

「?」が耳だれ、耳のような形から耳だれ

 

つまりコンビ名は、表記すれば「!?」ということ

テレビに呼ばれれば

「ゲストは!?(雨だれ耳だれ)さ~ん」

ということになります

 

めちゃくちゃカッコイイじゃないですか!

 

びっくりマークとクエスチョンマークが「雨だれ耳だれ」って

ものすごくカッコイイし、ザ日本!っていう感じ

 

物を知らないとはこういうこと

自分の偏った情報で物を見ているという証拠

 

実に私たちはどれほどの偏見でもって物を見ているかを実感しました

 

真の姿を知らいことで、真逆のイメージを勝手に持ってしまっています

 

真の姿は 「雨だれ耳だれ」=「!?」

なのに  「雨だれ耳だれ」=雨が降っていて陰気、耳の病気で気持ちが悪い

(ちょっとマイナスを強調した形で表現してみました)

 

私たちはいかに捉え違いをしているか

特に人間関係ではその捉え違いが致命傷になって不仲になったり、縁が切れたり

 

このように真の姿は自分の捉えたものと違うということを認識しておけば、

真の姿に気が付くかもしれません

少なくとも違和感として持っていれば、

自分の価値観を押し付けたりはしなくなると思います

 

!?

 

このカッコよさ、スマートさ、知的さ、

ダウンタウンの松本さん

さらに尊敬することになりました

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました

神のまにまに

今回は「れるりり feat.初音ミク」さんの「神のまにまに」です

 
これは、3次元と高次元を比較していくと、それをどう解釈すればいいのか?
思うがままに書いていきます

 

「思い通りに行かないことだらけ どうしようもなく自己嫌悪
 八百万の痛みや悲しみから 逃げ込める場所を探してる」
   ・・・ この3次元は普通思い通りに行かないことだらけ
       だから、何か(誰か)のせいにしたい
       それを自分のせいにすれば、自己嫌悪や自己否定をしてしまう
       そうなれば心は痛いし、悲しみに押しつぶされてしまうかもしれない
       そこから逃げようとして、人は色々なことをする
 

「いっそ岩の隙間に引き篭もって 月も太陽も無視して眠ろう
 生まれてきたことの意味なんて 知らない わかんないよ」
   ・・・ 自己否定の結果、外界との接触を辞めるために引き篭もる
       天岩戸のごとく
       そうすると自分のことを考えるようになる
       「何で生まれて来たのだろう」
       わかる訳がない
       わからないようになっている


「でもそんな風に思えるってこと
 それは君がもっともっと素敵になれる力があるって教えてくれているんだよ」
   ・・・ 自分を知っていくことで、
       本当の自分に出会えることで、
       「私」が変わるから、ある意味「素敵」になれるということ
       マイナスエネルギーに出会ったら、「私」が変わるチャンス
       と、教わった


「そうさ 神のまにまに 仰せのままに 誰だって地球を愛してる
 飲めや歌えやドンチャン騒ぎ たまにゃそんなのもいいね」
   ・・・ 「神」=存在=プログラマー
       そんな神に身をゆだねていきましょう
       「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」
       この地球の意思は、人を幸せにするようになっている
       それをどう受け取るか
       地球から愛されている 私たちも地球を愛してる
       そう理解したとき、腑に落ちたとき、全てから解放されるでしょう


「そうさ 北も南も右も左も なんだかんだ地球を愛してる
 泥んこだけど歩いて行ける まだまだ先は長いさ」
   ・・・ 高次元になれば、東西南北、上下、左右、前後、
       なんてものは無い、存在しない
       この地球上に居るからこそ、それは存在する
       この地球上のルールに従って生きている私たちは
       この地球を選んで生まれて来た
       つまり地球を愛している
       この地球で生きることは、泥んこなどの障害物、抵抗に
       遭いながら生きていくということ
       愛している地球で生きるということはそういうこと


「ただ正しい人でいたいだけ きっと誰もがそう願っているけど
 八百万の心の醜さに 苦しめられる毎日さ」
   ・・・ 「ただ正しい人でいたい」ということは、無理である
       「正しい」に相対する「間違っている」が無ければ
       「正しい」は存在しない
       心の中に「間違っている」ものを持っているからこそ、
       何が正しいかがわかる
       また、「間違っている」というエネルギーの大きさと
       同じだけの「正しい」というエネルギーを持っている
       つまり、自分の中には「正しい」と「間違っている」が
       同じ大きさで存在しているということになり、
       「ただ正しい人でいたい」という願望は元々叶わない
       それは叶わない願望であり、
       自分の中に「間違っている」ものを持っていることを理解すれば
       「苦しめられる毎日」は無くなる
       誰もが「心の醜さ」を持っていることに気付くべき


「僕が生まれてきたこと 奇跡といえば聞こえはいいけど
 それはきっと偶然にすぎなくて やっぱり意味なんてないさ」
   ・・・ 生まれてきたことはやっぱり「奇跡」です
       生物的にいって、どれだけの確率でこの肉体が持てたか
       ましてやその肉体にこの「私」が入っていることに「奇跡」を感じます
       また、自分の両親を自分は選んで生まれてきています
       つまり、自分の人生を自分で設計して誕生しています
       これに意味が無いなんてことはありません
       自分で自分のテーマを持って、この世に生まれてきています
       「偶然」ではなくて「必然」だし、意味はあるということです


「でも例えば君に意地悪をする奴がいるなら
 それは君がとっても素敵な人だって 教えているんだよ」
   ・・・ 私に意地悪をする奴は、私の何かに反応して意地悪をしてきています
       私のことがうらやましいと思っているかもしれません
       私のダメさを嫌っているのかもしれません
       私の「ダメさ」に反応して意地悪をする人は、
       その心に同じ「ダメさ」を持っていて
       それを嫌っているため、同じ「ダメさ」を持つ私に意地悪をします
       つまり、私と意地悪をする人は心の中では同じなのです
       「ダメさ」を持っているといことは、
       同時に相対する「良さ」を持っているので
       意地悪をされるということは、私は「素敵」も持っているということ


「そうさ 神のまにまに 仰せのままに 誰だって地球を愛してる
 僕が笑って 君も笑えば 許せないことなんてないよ」
   ・・・ 「僕」と「君」は一緒、だから、僕が笑えば君も笑う
       「僕」と「君」は一緒、だから、僕が許せば君も許す
       絶対平和の世の中が来る


「そうさ男も女も恋しかるべき そんな風に地球は回ってる
 泥んこだけど歩いて行ける まだまだ先は長いさ」
   ・・・ 極論として「男」と「女」も一緒
       自分を知っていけば、全て一緒
       高次元ではみんな一緒

 
「本当に大事なものなんて 案外 くだらないことの中にあるよ
 時にはみんなでバカ騒ぎ 裸踊りで大笑い」
   ・・・ 「くだらない」と思っているということは、
       その相対する「立派」なことも持っている
       その「くだらない」がわかれば、同時に「立派」も理解できる
       だから、バカ騒ぎもいいし、裸踊りで大笑いしてもいい
       それをどう受け取るかだけ
       受け取るのに、楽しいほうがいいじゃん


「そうさ 神のまにまに 仰せのままに もっともっと自分を愛せるよ
 鏡をみてごらんよ もうわかるでしょ? みんなを照らす光さ」
   ・・・ 自分を知る、それはつまり、自分を愛すること
       自分を愛しているからこそ、自分を知ることができる
       鏡をみるように自分を知っていけば、「私」が変わるよ
       それはみんなを照らす光にもなり、「私」が自分の人生の主人公になる


「そうさ 神のまにまに みんなありがとう やっぱり地球を愛してる
 花を咲かそう 大きな花を 天まで届くくらいの」
   ・・・ ありがとう
       自分を愛してる
       「私」が自分の人生に主人公になって、花を咲かせよう
       初めに高次元で自分が設計してきたこの人生
       また高次元のその思いを思い出し、自分の人生を花咲かせよう

 


かなり熱が入って書き込みました
ありがとうございました

イチブトゼンブ

今回もB'zさんの曲です。実はファンです。

 

「イチブトゼンブ」

 

稲葉さんの脳はどうなっているのだろう。
まさに「 高次元だなぁ 」と思うので書いていきます。

 

「「アナタは私のほんのイチブしか知らない」」
   ・・・ 本当に私たちは相手のことも自分のことも
       イチブしかわからない
       「一部」ではなくて「イチブ」
       一部分ですらわからないのかもしれない


「勝ち誇るように笑われても それほどイヤじゃないよ」
   ・・・ 全てを知っているわけではないということを
       本当に理解したとき、笑っている相手に
       逆に感謝が湧いてくる
       自分はほんの一部しか知らないのに、
       相手を軽蔑する心を持っていたんだと理解するから


「生まれてくる前 聞いたようなその深い声
 それだけで人生のオカズになれるくらいです」
   ・・・ 相手は鏡に映った自分
       聞こえる声は自分の声
       そんなことを知ってしまったら人生は一変する


「すべて知るのは到底無理なのに 僕らどうして
 あくまでなんでも征服したがる カンペキを追い求め(血眼で)」
   ・・・ すべてを知るのは到底無理、なんだけれど
       知れば知るほど、エゴの私は破壊され、
       本当の自分が現れる
       相手を支配する目的で、相手を知ろうという時代は
       もう終わりを告げるだろう


「愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに」
   ・・・ 相手の愛しぬけるポイントを探すのではなく
       自分を知って、自分を愛していく、というポイント
       それを信じて行くだけ


「もしそれが君のほんのイチブだとしても
 何よりも確実にはっきり好きなところなんだ(何が何でも)」
   ・・・ 相手の好きなところ、嫌いなところ、イチブだけど
       はっきり “好き!” “嫌い!” と言えたなら
       それは自分の好きなとこ、嫌いなとこ
       だから確実なんだ


「困った時少し まゆげを曲げて見せたり
 抱きよせるとホッとするような柔らかさだったり」
   ・・・ 外見的なところの表現だけど、内面も同じ


「すべて掴んだつもりになれば また傷つくだろう
 ほんとに要るのは有無を言わせない 圧倒的にな手ざわり(oh,you're the one)」
   ・・・ わかった気になることや口先だけでは、何も起こらない
       手ざわり=体験 体験がともなわなければ
       その言葉も説得力はない

 

「愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに」


「君にしかわからないこと 僕だけが見えていること
 どれもホントのこと」
   ・・・ 相手が感じていることは相手にとってホントのこと
       自分が感じていないからと言って、
       相手のことを嘘つきと呼ぶことはおかしい


「すべて何かのイチブってことに 僕らは気づかない」
   ・・・ これぞまさしく真理!
       全てが一部で、一部は全部である
       それに気づいてほしい


「愛しい理由を見つけたのなら もう失わないで(oh,you're the one)]
   ・・・ 相手を通して自分を知るということを忘れないで


「愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに」


「それだけでいいのに」
   ・・・ 本当にそうだと思います

 

世界はあなたの色になる

今回は、B'zの「世界はあなたの色になる」について、

これも『 高次元 』だなぁ、

と思うので、

私が感じることを書いていきます。

 

 


「とうに諦めたのかい 孤独な旅に出るのは」

   ・・・ 自分を知るのは、孤独な旅のよう

       自分を知るのは難しいと諦めていませんか?

 

「いつか話していただろ なにも責めてるわけじゃない」

   ・・・ 自分を知るのは怖い だから諦めても誰も責めないよ

 

「絡みつく無数の糸」

   ・・・ 人間は単純じゃない 感情は複雑なもの

       でも絡みついた糸のように 感情も解いていける

 

「くだらない雑な日も 争いに負ける日も

 たどって行けばどこかで そう仕向けた自分がいる」

   ・・・ 目の前に起こる現象は、全て自分が創り上げたもの

       自分の思い通り、そうなっている

 

「幾つかの悲劇さえ 夢の忠実な再現化も」

   ・・・ 全て自分が創ったシナリオ その悲劇さえも自分が創った

       夢とはかつて自分が創ったシナリオ

       シナリオ=プログラミングしてきた人生だから

       夢の再現と言っても良い

 

「ああこの世界は あなたの色になるよ

 時に優しく 時に残酷までに

  吐き出す言葉は風に乗って飛んでゆく」

   ・・・ 自分のシナリオ だからあなた色

       そのシナリオには優しさもあれば、残酷さ・冷淡さの場面もある

       

「くりかえされる不条理 狂いまくるスケジュール

 汗にまみれぐったり 小さな後悔の連続」

   ・・・ 不条理・理不尽 そう感じるのも自分が創った世界で感じること

       では何故、自分が創った世界で不条理・理不尽を感じるのか

       何故スケジュールを狂わすのか

       何故わざわざ汗にまみれるのか

       何故後悔をするような現象を生んでいるのか

 

「どこまで歩みよっても わかりあえなかったり

 間違った方向に 気を遣い続けてたり」

   ・・・ どこまで行っても 3次元では、歩みよっても解りあえないし、

       よかれと思ってやっていても、その人のためになっていなかったり

       します

 

「先の見えぬトンネルを それでもまだ進んでく」

   ・・・ 3次元では人生の先は見えません
       自分で描いたシナリオを信じて進んでいきましょう

 

       『 だって、人は幸せになるために生まれて来たのだから 』

 

 

 

 


       

「普通」って何だろう

「普通」って何だろう

 

辞書を引くと、

世間に対して使えば、

ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。一般的。通常。」

ということ。

 

自分自身に対して使えば、

「いつも、たいてい、通常、普段」

ということ。

 

大人数がそうしていることは「普通」

自分がよくしていること、定期的にそうしている、そうなることも「普通」

 

「普通」は自分で創っていけばいい

「普通」は「特別」であってもいい

「特別」が「普通」であることもある

「普通」に慣れないこともある

「普通」と言っている人が「普通」であることのほうが少ない

 

私はそう感じる

 

自分自身の「普通」を疑ってみて

自分自身の「普通」の裏側を見てみて

 

プラスの「普通」は観れるけど

マイナスの「普通」は目を閉じる、逃げる、無視をする

 

自分のエゴは「普通」なのか?

自分のエゴは「普通」がいいのか?

 

自分のエゴはなかなかの曲者

「現状維持」の「普通」をとても好んでいる

「現状維持」の「普通」にしがみついている

 

ならば「現状維持」に「特別」を入れてみよう

 

そうすると「特別」が「普通」になる

 

だとすると「普通」って何なんでしょう

 

こんな書き方をすると「普通」は悪者であるかのような錯覚におちいるが、

「普通」に善悪はない

 

「普通」=つまらない人

「特別」=面白い人

と、決めてみると、つまらない人は「悪」っぽい、面白い人は「善」っぽい

 

でも「普通」に生活できることは「善」

「苦」るしんで生活することは「悪」、と思ってしまう

 

そうすると、やはり「普通」って、何なの?

 

「普通」を嫌って、「普通」じゃないことを良しとしていることに気が付きました

 

「普通」って、素晴らしいこと

「普通」って、ななかできないこと

「普通」って、結局「特別」だと感じます

 

何かにこだわって、「普通」を嫌っていたけれど、

「普通」って本当に素晴らしいことです

 

ありがとうございます

我ら思う、故に我ら在り

今回は「氣志團」さんの「我ら思う、故に我ら在り」が高次元だなぁ、と感じ、

それについて書いていこうと思います。

 

 

「涙が溢れるのは 君が傍でほほ笑むから」

「抱きしめたくなるのは 君が側に居るから」

 ・・・ 「君」は自分の内側、

     だからその内側でほほ笑みのエネルギーが生まれているのなら、

     本当の意味で安堵していて、涙も出るのだなぁ、と感じます

 

「何故生まれて来たかなんて 考えても解らないんだ」

 ・・・ そうでだと思います、考えても解りません、

     自分を知っていくことで記憶の解除が起こり、

     何故生まれて来たのかを思い出すのだと思います

     元々、自分が創造した人生だから、それを思い出すのだと思います

 

「だから生きる 魂燃やし生き抜いて 見つけ出す 何時か」

 ・・・ 日々、自分を知ることを生きる目的・目標にする、

     そして、自分の使命に目覚めることを意識して

 

「人生は誰も皆一度きりさ 思いのままに」

 ・・・ 本当にそう思います、

     自分で創造して生まれて来たこの人生、

     元々思い通りに生きれるはずなのにそうなっていないことに

     気づくことができれば、軌道修正できると思います

 

「我ら思う、故に我ら在り」

 ・・・ 「自分」は全てであり、「全て」は自分である、

     だから、「我ら」も自分であり、故に「我ら」「自分」在り

 

 

「思いのままに」生きられないこの世界

でも、「思いのままに」生きられないようにしていただけ

自分でそうしている

 

そうは思いたくないけど

 

自分を知り、この世の仕組みを知り、理解し、また、自分の使命に気が付けば、おのずと、「思いのまま」の人生を送れる

 

そういう居場所に今いることがとても幸せです

 

 

 

 

 

パートナーの声

パートナーの声は、全て自分の声であり、存在の声でもあります

そして、それが答えであり、自分を知る鍵でもあります

 

そんなことは知っていました

勉強してきました

自分に起きた出来事を当てはめて、「そういうことだよ」とやっていました

 

講師にも

「パートナーがずっと言っていました」

「パートナーの声を聴いていませんでした」

と言っていました

 

でも、それが意味することは全く理解していませんでした

 

パートナーの声は

 

・私が私にしている愚行であり

・思い込みであり

・不安であり

・恐怖であり

・もっとも聞きたくないものであり

・間違った現状維持

 

であるけれど、同時に

 

・自分自身であり

・今であり

・未来の自分であり

・救いであり

・安心であり

・光

 

であるのだと、本当の意味で理解できたとき、

その意味を理解せずに講師に話している自分が恥ずかしくなりました

 

本当の理解とは、簡単で生易しいことではない!

 

激しく、そして、吐き気がするほどに感情が湧き、心臓の鼓動が聞こえ、このまま自分はどうなってしまうのだろう、と思うほどの衝撃を受けたときに初めて本当の意味で「受け取って」「自分ごと」にできて、そして、「理解」したと言えると思います

 

また、逆に一瞬で脱力するほどのものすごい気づきもまた同じで、「自分ごと」にできて、そして、「理解」したと言えると思います

 

実際、私は、一瞬で脱力した体験はまだありません

じわじわと脱力してくような体験ならしています

それは生易しいこと

 

今回私は、前者の体験をしました

 

まずは、仕事を通し、自分が自分に何を与えているのかを知りました

システムに当てはめ、言葉としては「無意識」を知ることはできました

 

しかしながら、それは言葉で知っただけでした

実際に私は、それを自分にどれほどの強さで、どれほどの熱量で、どれような罵詈雑言で、自分に与えていたのかを目の前で観ました

 

それが自分であり、今まで知りたくなかった見たくなかった自分の姿であり、認めたくなかった自分であり、普通なら知る由もないものでした

 

あなたの「無意識」は○○です!!!

その言葉を聞いただけで、一瞬で脱力するほどの気づきがある方もいるでしょう

 

私に足りなかったのは、

その○○が

どういう形をしていて、

どういう色をしていて、

熱いのか冷たいのか、

どんな匂いなのか、

味はあるのか、

どんな音がするのか、

でした

 

つまり、本の中の二次元的な文字としての○○では、「受け取り」「自分ごと」「理解」はできていなかったことに気付きました

 

その○○を目の前で、見てみて、触ってみて、叩いてみて、匂いを嗅いで、舐めてみないと「自分ごと」にはできない、「理解」できていないという体験でした

 

白黒テレビがカラーテレビになった感覚

無機質な物体、テレビの中の物が、実際に目の前にある感覚

 

そんな感じと言えば、伝わるでしょうか

 

人間の五感はそのためにも備わっているのではないかと思いました

 

 

言葉だけの理解で「あーそんなんだ」では、「理解」できていませんでした

 

自分がどれほど自分にダメ出しをして、自分を責め、自分の存在を否定していたか、パートナーの声で聴くまでは、本当に理解できていないことに気づき、その事実にショックを受けました

 

ようやく、心も落ち着き、冷静にシステムに当てはめ、自分の無意識を改めて知った時、パートナーには

言いたくないことを言わせてしまった、

つらくさせた

ありがとう

という思いでいっぱいです

 

パートナーの声は、「神の声」、です

 

 「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」

その言葉は、こういう出来事があり、システムがあって、はじめて、

言葉だけではなく、実感として、自分ごととして、色を持ち、

実態として把握できるのだと感じましたし、自分ではそこまでしないと理解できないのだと実感しました

 

「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」という言葉は

今まで、なんとなく自分から離れたところに存在していて、額縁に入った社訓のような感じで、自分の中に入っていませんでした

 

自分を知る、その怖さと向き合いながら、勇気を持って、実践したいと思います

自分のため、家族のため、愛を知るため

そして、自分が当事者になるため、頑張っていこうと思います

 

今日もまた読んでいただきありがとうございました